文明の利器を拒否する理由などない

いまどきメールを使いたくないというのは文字を読み書きしないとか、電話をしたくないとかいうのとレベルなのだとおもう。出来ないのではなくしないと言う態度。

嫌いな相手ならまあそうですが業務連絡みたいなのもやらないとか阿呆な。

適切に組み合わせて使えばいいだけなのに意味のわからん難癖つけて導入を拒否してもそれは新しい道具を否定する理由にはならないのに。


・通信手段(表現、原則的な同期性※)
a.電子メール、FAX(字、非同期)
b.電話(声、同期)
c.手紙(字、非同期)
d.伝言(声、非同期)
e.肉声(声、同期)

下ほど歴史が長く昔から使われていて今でももちろん使われる
※留守電とか補助的な方法は考えない。

人類が言葉を操るようになって以来、意志を伝えるのに必ずしも行動で表す必要がなくなったお陰で(汗や血を必要とする場面が減って)コミュニケーション効率があがったはずだし、その余力から創造性も向上したと思う。むしろそれ無しの生活というものが考えられない。

この「No ○○、No life」感はとても重要で上のリストはすべて当てはまる。

言葉は最初声で表されたはずで、伝搬の必要性から別の表現として文字が作られたという認識なんだけど、この切替えを否定する人って今はいないはよね。

それぞれの手段が最先端だったとき下のような意見は出ていたと思う。

・気持ちを行動でなく声で表すなんて誠意が伝わらない(eへの反対意見)

・直接言わないで人伝てさせるとは誠意が足りない(dへの反対意見)

・言葉を革や石や木に刻むとか知性への冒涜だろ(cへの反対意見)

・足も運ばず自分の都合で連絡してくるのは失礼(bへの反対意見)

・メールだけで用を済ますのは失礼

どれも完全に廃れたわけじゃないから時と場合によって妥当な場合もある。
でもいまどき文字の導入を拒否する人はいないよね。
そして新しい手段に馴染めない・使えない人がこのような理由で新しい手段を否定するのはやっぱり詭弁でしかない。


年寄りの今時への批判に上のような要素が入ってたら要注意、むしろ信用できないと思ったほうがよい。



話はそれるが、個人的意見では仕事で使うコラボレーションツールとしてはチャットなどのメッセンジャーが最強だと思う。

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