何が得られて何処へ向かうかだけを問うべき


俳優の伊勢谷友介、2chの名無しに怒り 「焼身自殺と言う命をかけた行動を、狂人扱いし、卑下することは許せない」 : 痛いニュース(ノ∀`)



焼身自殺試みた人の主張には同意、共感、理解、何れもできない。出来ないけど伊勢谷氏の言うことにも一分くらいは理がありそう。

ただ命を掛けた行動なら無条件で褒められるべきではなく、行動の妥当性を以ってキチガイかどうか判断すべき。

政治的主張としての◯◯
(◯◯は任意の行動。今回の場合は焼身自殺)

評価するポイント
その行動が今後の社会の動向に反映されるかどうか

この行動を見て社会が集団的自衛権の行使はしない方がいいんじゃないかなあ、と考える様になれば本懐は遂げたといえる。

 今回はどうか。

人混みでパフォーマンスをする→
注目を浴びて多くの人に問題提起はできた◯

同意してくれそうか→むつかしいんじゃないか。傍迷惑すぎる。警察も役所も大変。

いや、「先の大戦で徴兵と空爆で一家離散悔しい2度とさせない」とか「安部政権はこの法案のために我々の家族や無辜の民を犠牲にした」、「実は政府首脳は中国に国を来るための工作でその証拠を見つけたが握り潰された」とかストーリーがあればああそうですかとおもわなくもないのですよ。是非は別として。


命を掛けて世の中に質問を投げかけたという意味では良くやったと思うけど、普通に出版とかで企画したほうが持続的な影響は持てるのではないでしょうか。

問題だけ考えるなら自分としては容認派だし考えはかわらないなあ。
というとネトウヨの戯言とか言われそうなので左巻きの方でも、こいつはキチガイだ!と認定しそうな事件を想定してみる。

「集団的自衛権の行使を実現するために焼身自殺」
「原発再稼働を願って焼身自殺」
「九条改正を願って焼身自殺」

おわかりいただけただろうか…
こんなのを擁護するしたら、その側にいることだけを表明しているに過ぎない。
それでも評価するなら別に良しとすべきだと思うけどもはや信仰の問題。










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