自分が心底嫌悪すること

けっこうまえに仕事で腹がたつことがあって(もちろんいつもあるんだヨ)、
その時に、いろいろ考えをめぐらせてみたのだけど、
脳内会議の結果、自分が心底嫌悪することって
自分の主観を客観と偽る事なんだろう、という結論。

代表的なのが新聞。何様だろう。如何に自分らが
世間の代表みたいなことを述べてお上を批判して飯を食う。浅ましい。
テレビも似たようなもので「お茶の間」に慮って彼らの良識でしか
話をしていないのに、スキャンダルに勝手なコメントをつけて
大満足のオナニーショウ。

「みんながそう言ってる」と思わせるに値する
理由を説明しないのは自分の発言に責任を持ってないに等しい。

困るなら何が困るのか言えばいいのにな。仮にそれがその人の
独りよがりな考えから由来するものだとしても合わせる度量は
もってるつもりなんだけど。とおもったのがそのときのこと。

そのときいわれたことは、「(ガキの遣いも満足にできないなんて)予想外でした」
勝手に決めつけて「配慮します」みたいなこと。本当にガキの遣いかどうかは微妙。
言いっぱなし。説得の試みはなさそう。

どう間違えたか指摘した上で説教をしてくれたり、わがままを主張する方がまだいい。
そのほうが自分の要求には素直だから。また話もできる。
むしろその情念とか人間臭さに好意を憶える。
自分がそういう履き違えをやってないか気をつけないと。精進精進。

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